世界に誇る素晴らしい歴史と文化が根付いている日本。それらを守り、後世に引き継ぐための取り組みのひとつに文化庁が実施する「日本遺産(Japan Heritage)」があります。2023年12月現在、日本各地で104カ所が日本遺産に認定されています。
独特の歴史と文化が息づく佐世保にも日本遺産があるのをご存知でしょうか。今回は、佐世保にどんな日本遺産があるのか、その内容や背景について詳しくご紹介したいと思います。
目次
港まち佐世保の魅力
佐世保といえば港まち。佐世保湾は入口が一つだけで深さもある、日本有数の天然良港として知られています。地理的にも歴史的にも重要な港で、1562年に南蛮貿易で繁栄、明治時代には鎮守府に選定されました。
鎮守府とは海に囲まれた日本を護る海軍の重要拠点。佐世保は西の要として日本の様々な技術が集結し発展、実践的な前線基地としての役割も果たしました。海軍さんの街として独特の文化が生まれ、佐世保の魅力となっています。
佐世保港は現在でも大きな役割を担っています。海上自衛隊や米海軍の基地だけでなく、フェリーやクルーズ船の発着港としても発達。佐世保港は、「自然豊かで異国情緒あふれる佐世保」を形作る中心的存在なのです。
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日本遺産(Japan Heritage)とは?
日本遺産(Japan Heritage)とは文化庁による事業で、2015年から始まりました。世界遺産や文化財指定は文化財の価値づけや保護を目的にしているのに対し、日本遺産(Japan Heritage)の目的は地域活性化。各地の文化と歴史を物語(ストーリー)にして認定し発信することで、対象地域をブランド化し住民のアイデンティティ再確認に役立ちます。
2023年12月現在、日本各地で104のストーリーが認定されています。そのうち、佐世保市が深く関係している日本遺産は次の2つ。
鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代文化の躍動を体感できるまち~
日本磁器のふるさと 肥前~百花繚乱のやきもの散歩~
いったいどんなストーリーなのでしょうか。詳しく見てみましょう。
鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~
明治時代に築かれた鎮守府は、横須賀・呉・佐世保・舞鶴の4カ所。海で囲まれた日本を護るため、軍港都市が整備されたのです。これら4市は2016年、日本遺産STORY(ストーリー) #035に認定されました。日本遺産のHPによると、その内容は次の通り。
明治期の日本は、
近代国家として西欧列強に渡り合うための海防力を備えることが急務であった。
このため、国家プロジェクトにより天然の良港を四つ選び軍港を築いた。
静かな農漁村に人と先端技術を集積し、海軍諸機関と共に水道、鉄道などのインフラが急速に整備され、日本の近代化を推し進めた四つの軍港都市が誕生した。
百年を超えた今もなお現役で稼働する施設も多く、
躍動した往時の姿を残す旧軍港四市は、
どこか懐かしくも逞しく、今も訪れる人々を惹きつけてやまない。
日本最西端に位置する佐世保鎮守府の役割は「西海の護り」。佐世保市は日本を護る重要拠点となり、近代的な街に発展しました。今でも佐世保には、海軍由来の建物や食文化が残っています。
針尾送信所
自然豊かな西海の海にそびえ立つ3本の無線塔。
136mもの高さを誇り、300mの間隔で正三角形に配置されています。針尾送信所・針尾無線塔が建設されたのは100年前の1922年。旧日本海軍が4年の年月と莫大な費用を投じ、日本最大の無線塔を建設しました。今でも地震や塩害に耐える構造であることから、当時の技術力がいかに高かったかがわかります。
針尾送信所・針尾無線塔は2013年に国の重要文化財に指定され、2016年に日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」の構成文化財のひとつとして認定されました。
鉄筋コンクリートの無機質な3本の塔は、どこかSF的。異空間に迷い込んだかのような不思議な佇まいであることから、針尾無線塔は映画やドラマ、アニメ、小説など様々な媒体に登場し存在感を放っています。
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旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館
クラシカルで重厚な造りの旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館。「佐世保市民文化ホール」「凱旋記念ホール」としても親しまれている、佐世保を代表する建造物のひとつです。
旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館が建設されたのは100年前の1923年。その目的は、第一次世界大戦で奮闘した佐世保の艦艇を讃えるため。イギリス国王から勲章が授与されるほどの活躍だったそうです。佐世保鎮守府管内の九州・沖縄・四国各地から寄付を募り、旧海軍が建設しました。
太平洋戦争後は米軍に接収され、ダンスホールなどとして使われました。1977年に日本に返還され、1982年に佐世保市に譲渡。それ以来文化施設として佐世保市民に親しまれてきました。1997年には国の有形文化財に登録、2016年には日本遺産の構成施設として認定されました。
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佐世保重工業(株)250トンクレーン
佐世保造船所でひときわ目立つ、高さ62mの巨大なクレーン。
世界に10台しか残っていないジャイアント・カンチレバー・クレーンです。正式名称は「佐世保重工業(株)250トンクレーン」ですが、その形状が金槌(ハンマー)に似ていることから「ハンマーヘッド」とも呼ばれています。
ハンマーヘッドは、旧日本海軍が1913年にイギリスへ発注して建設したもの。佐世保重工業がある場所は、もともとは旧佐世保海軍の工廠(軍隊直属の軍需工場)でした。佐世保造船所は日本の造船技術の要として活躍し、1962年には当時世界最大のタンカー「日章丸」もここで造られました。
2013年に国の登録文化財に指定、2016年には日本遺産の関連施設に認定されたハンマーヘッドは、建設から110年たった今でも現役として稼働し、佐世保造船所を支えています。
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みかわちの磁器製作技術
佐世保市が関係しているもうひとつの日本遺産は、ストーリー#037「日本磁器のふるさと 肥前~百花繚乱のやきもの散歩~」です。自然豊かな九州北西部「肥前」で誕生した磁器が広がり、陶工たちが切磋琢磨して技術を磨いたこと、海外でも称賛されたことなどがストーリーとして語られています。
長崎県と佐賀県はその昔、「肥前」と呼ばれていました。肥前は日本で初めて磁器がつくられた場所です。佐賀県有田町で磁器の原料である陶石が日本で初めて発見され、磁器の焼成に成功。やがてその技術は周辺に広がり、殿様への献上品や民衆の食器がつくられるようになりました。
佐世保市東部にある三川内でも磁器が焼かれていることから「肥前やきもの圏」のひとつとして日本遺産に認定されました。三川内焼は別名「平戸焼き」。もともとは平戸藩の御用窯として献上品を製造していました。海外輸出もしてヨーロッパの貴族に愛された歴史もあります。
三川内焼の特徴は、薄さと白さ、青い呉須の絵、緻密な細工。他に類を見ない技術力と美しさがあります。風の中で遊ぶ唐子の絵や、とても磁器で作られたとは思えない「透かし彫り」「置き上げ細工」などが有名です。
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まとめ
いかがでしたか。これら2つの日本遺産は、バラエティ豊かな佐世保を象徴するようですね。
日本に4カ所しかない鎮守府のひとつ、佐世保。技術の粋が集められ、小さな漁村だった佐世保が日本有数の大都市に生まれ変わりました。
今回ご紹介した針尾送信所や凱旋記念館、巨大クレーンの他にも「旧佐世保鎮守府防空指揮所跡」「旧佐世保鎮守府庁跡(海上自衛隊佐世保地方総監部)」「佐世保東山海軍墓地 東公園」「無窮洞 」等々、鎮守府に関連した文化遺産はかなりの数に上ります。SASEBO軍港クルーズや海軍さんの散歩道などのツアーもあるので参加してみてはいかがでしょうか。
「肥前の磁器」として長崎県で製造されているのは、三川内焼と波佐見焼です。三川内焼は献上品として芸術性の高い磁器が焼かれましたが、波佐見焼は大量生産の技術が発展し庶民の器が製造されました。同じ「磁器」ですが、それぞれ全く違う味わいがあります。ぜひ手に取ってみてくださいね。