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日本遺産認定!知って得する「鎮守府」佐世保の萌えスポットとは?

旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設
〒859-3452 長崎県佐世保市針尾中町 google mapで見る

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日本を代表する軍港のまちとして開拓され、発展してきた佐世保。
佐世保には「鎮守府」としての歴史的側面があります。
その近代遺産は日本遺産としても認定されています。

海軍や鎮守府といえば、昨今人気のキャラ育成ゲーム「艦隊これくしょん」(通称:艦これ)で馴染みのある方もいらっしゃるかもしれませんね。
「艦娘」と呼ばれるキャラクターは、戦艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦などを擬人化したもので、戦闘に用いられるパラメータも実際の海戦で起こった出来事を反映したものになっているようです。ゲーム内に出てくる海域の名称や地名は架空のものとのことですが、プレイヤーがオンライン接続するサーバー名は「鎮守府」からまさにとられています。

「歴史は詳しくないけれど、艦これ は知っている!」というような方はいらっしゃいますか?

実は地方再生の取り組みの1つとして佐世保市が過去に「艦これ」とコラボレーションしてイベント開催などを実施してきました。オタクのイメージのあるアニメではありますが、艦これファンによって「鎮守府」の歴史が認知拡散され、街に多くの人が訪れたことによって市内の商店街などが盛り上がり、キャンペーンも成功しています。軍隊や戦艦や自衛隊というとなかなか敷居が高く感じてしまうこともありますが、興味を持ってもらうきっかけにするというのは何事も必要なことですね。

本日は、そんな「鎮守府」としての役割をもつ、佐世保のディープな側面をご紹介します。遺跡として残る軍事施設の数々は「廃墟」としても昨今、国内外から注目されています。マニアの方も、そうでない方もぜひこの機会に歴史について知って欲しいと思います!

日本を代表する「鎮守府」・佐世保

 

現在の日本はあまりにも平和で、おそらく「戦争」という言葉を日常で使うことすらないかもしれません。戦争を経験していない私たちは、その恐さを想像することも難しいでしょう。
あなたは自分が住む「日本」は四方八方を海に囲まれた島国で、万一何か起こった際には自衛隊がしっかりと守ってくれるという事を意識することはありますか?
日本の国防について、防衛省の役割などはよく知らない・・・わからないと言う方もいらっしゃるかもしれませんね。

歴史を遡ること明治時代、日本には「軍隊」がありました。そして日本は近代国家として国防力を高めるため、横須賀・舞鶴・呉・佐世保の4箇所に日本海軍の本拠地として「鎮守府」を設置したのです。
長崎は朝鮮半島や中国大陸に近いことから日清戦争や日露戦争などにおいて、国内の重要な軍事拠点としての役割を果たしていました。

古来より「水軍」松浦党のゆかりの地であった佐世保。検討の結果、軍港を開くことが決定して明治22年(1889年)、佐世保市に「佐世保鎮守府」が開庁。
主な長官には日本海海戦で連合艦隊司令長官として指揮した東郷平八郎、第一機動艦隊司令長官の南雲忠一がいました。

1945年6月28日の第二次世界大戦時の空襲の攻撃により焼失するまで、佐世保鎮守府は九州、四国、沖縄など西日本地域一帯の防衛と東アジアへの進出拠点となっていたのです。
以降、海軍機関と共に様々なインフラが整備され、艦船を作る造船工場などの産業が栄え、様々な技術者が移り住むようになりました。そして海軍、軍港と共に発展してきたのです。

なお、現在、海軍カレー、海軍御用達などと普段の会話の中で話す佐世保の海軍の意味は、主に「海上自衛隊佐世保地方隊」、「アメリカ海軍第七艦隊」を指していることが多いです。現在は日米の共用基地として活用されているからです。

鎮守府としての佐世保を海から体験するには、軍港クルーズがおすすめです。
海軍工廠に由来する佐世保重工業(通称SSK)や五島、西海、平戸の島々を航路で結び、様々な船舶が行き交う佐世保港。250Tのクレーン、日本遺産の文化財、海上自衛隊の艦船などを間近にみる歴史ガイドつきのツアーとなっています。
■クルーズ:所用時間60分(土日祝限定)大人2000円/子供1000円(小学生以下)
■チケット購入:佐世保観光情報センター(JR佐世保駅構内)

関連記事:【佐世保フォト開拓記】佐世保港を隅から隅まで!SASEBO軍港クルーズ《前編》
関連記事:【佐世保フォト開拓記】佐世保港を隅から隅まで!SASEBO軍港クルーズ《後編》

日本遺産に認定された鎮守府の代表的文化財

それでは早速、「鎮守府」の歴史を実感できる佐世保の代表的重要文化財を紹介していきたいと思います。佐世保市内には実は503もの施設が歴史的な役割を果たしたとして重要文化財に認定されています。日本遺産に選ばれているものもあります。

(※日本遺産:自国の歴史文化や伝統ストーリーがある有形・無形の文化財を地域で守り、整備して国内外に発信していく事を目的に作られた文化庁が認定する遺産)
本日、1回目はこちらの施設をご紹介します。

■旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設

旧佐世保無線変電所施設(針尾送信所)は大正時代に旧日本軍によって建設され、日本で唯一残っている長波通信施設です。他には見られない貴重な施設であり、太平洋戦争の開戦を告げる「ニイタカヤマノボレ1208」の発信はここから発されたとも伝えられています。

3本聳え立つ電波塔の高さはなんと136Mを超える高さ。
遠目に見ても、「なんだこれは!宇宙人が作ったの?」と不思議な光景に圧倒されます。

これらの塔は、当時の日本では最先端と言われたコンクリート製の建物でした。
136Mといってもピンとこないかもしれませんが、東京タワーの展望台が145Mなので
かなりの高さですよね。
当時はほぼ手作業で100段もの流し型を積み重ねていって建築を完成したそう。
専門家による調査によると、耐震強度もあり、あと100年は持つだろうと言われています。すごいですよね。

当時、遠距離無線通信は「長波」が適していると考えられていました。強力な電波のため長いアンテナから発信しなければ遠くまで届かないため、このように高い塔が必要だったのです。実際にこの電波塔から約1,850km先まで電波を飛ばすことが可能だったようです。

内部はこんな感じの構造になっています・・・。
途中に開いている窓は、採光と換気の役割があったようです。作業が必要な際には壁面につけられたはしごを使って上まで登らなければいけなかったようですね。

一辺300m間隔で正三角形に配置された3本の無線塔の中心部には、「電信室」と呼ばれる鉄筋コンクリート造りの通信施設があり(半地下一部2階建、床面積約380坪)

ここは1996年、約20年前までは海上自衛隊と海上保安庁が共同で使用していました。
現在は未使用で無人の廃墟となりましたが、蔦などの植物に囲まれたその姿は独特のノスタルジーを醸し出してきています。

こちらは昨年2020年の秋より、施設内が公開されて一般見学ができるようになりました。廃墟マニアの方の間でも萌えスポットして注目されています。

施設の敷地内はその他、油庫、貯水槽、兵舎、港湾施設など海軍施設だった当時の建物がそのまま残されており一帯を見学することが可能です。
歴史や建築に興味のある方はぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

いかがでしたか?海軍と共に栄えてきた街の歴史と戦争の爪痕。
当時亡くなった方々の鎮魂、様々な人の想いが今に受け継がれていることを知る機会にして頂きたいなと考えています。引き続き、鎮守府としての佐世保をシリーズで紹介していきたいと思います。

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旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設
〒859-3452 長崎県佐世保市針尾中町google mapで見る

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